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苗木藩

270年間、苗木の地を治めた遠山家


苗木藩は岐阜県中津川市苗木に存在した最小の城持ちの藩。居城は苗木城。美濃国の恵那郡の一部と加茂郡の一部を領地としていました。中津川ICから国道257号を付知町方面へ。木曽川にかかる城山大橋の中ほどから右手を見ると、右岸にこんもりとした高森山を見ることができます。ここは、かつて美濃国恵那郡と加茂郡を治めてきた苗木藩遠山家の居城、苗木城の天守閣があった場所です。今でこそ穏やかな流れの木曽川ですが、大正13年に恵那郡蛭川村(現中津川市蛭川)に大井ダムが建設されるまでは、水量が多く激流の川でした。高森山のあたりは深い淵で霧が立ち込めることが多く、苗木城の別名を「霞ヶ城」と言いました。また、苗木城の壁は白漆喰ではなく赤土壁だったために、「赤壁城」とも呼ばれていました。


【龍伝説の残る城】
赤土壁だった苗木城も、完成した時は白漆喰の美しい白壁でした。しかし木曽川に住む龍が白壁を嫌い、一夜のうちに剥がしてしまったという伝説が残っています。その後、何度漆喰を塗りなおしても夜のうちに龍が現れ、壁を剥がしてしまったと伝えられています。


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【国の史跡 苗木城を歩く】
木曽川畔は巨岩・奇岩が多く、高森山にもいたるところに巨岩があります。苗木城は、その天然の岩と人工的に作られた石垣を巧みに使った特徴的な城郭でした。現在では礎石と石垣、何千年も前から同じ場所にあった天然の岩、そして深い森が神秘的な風景を作り出しています。本丸は高森山山頂にあるふたつの巨岩にまたがるように建てられていました。三層構造で、板葺きの屋根に板の壁でした。現在では天守閣部分に見晴台が作られており、真正面に見える恵那山とゆったりと流れる木曽川美しい雄大な眺めを楽しむことができます。


【苗木遠山史料館】
高森山の麓にある苗木遠山史料館は、戦国時代から明治時代初期に至る、苗木領の歴史的な文化遺産を保存、公開する資料館です。常設展示室では遠山家に伝わるさまざまな品の展示とともに、当時の領主や領民の生活がわかりやすく解説されています。また、苗木城絵図や地形図を元に作成された苗木城の模型も展示されています。

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血の縁と地の縁が織りなす歴史


・ 姫駕籠
苗木遠山史料館の展示品の中で、ひときわ目を引く豪華な駕籠があります。苗木藩最後の第12代藩主友禄(ともよし)の元に嫁ぐ嘉姫がお乗りになった姫駕籠です。姫駕籠は全国的にも数台しか現存しておらず、その中でも嘉姫の駕籠は保存状態が良いことで知られています。丸に十字の薩摩藩の家紋、美しく施された唐草模様の蒔絵。当時の工芸技術のすばらしさを垣間見ることができます。


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・ 血の縁 地の縁
遠山友禄は若年寄りに大抜擢されます。人物が優れていたことに加え、嘉姫と篤姫がいとこ同士であったことも大きく関係していると言われています。友禄は第十四代将軍で皇女和宮の夫・家茂の重鎮として、将軍と行動をともにします。慶応2年7月、家茂は第二次長州征伐の途上に薨去。3ヵ月後、友禄は家茂の遺体とともに江戸へ戻ってきます。


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・ 和宮の琴
苗木遠山史料館には、和宮が愛用していたという美しい琴が展示されています。どのようにして遠山家に和宮の琴が伝わったのかは不明ですが、夫家茂を江戸へと連れ帰った遠山友禄への感謝の気持ちだったのかもしれません。


270年間、苗木の地を治めた遠山家


苗木藩は岐阜県中津川市苗木に存在した最小の城持ちの藩。居城は苗木城。美濃国の恵那郡の一部と加茂郡の一部を領地としていました。中津川ICから国道257号を付知町方面へ。木曽川にかかる城山大橋の中ほどから右手を見ると、右岸にこんもりとした高森山を見ることができます。ここは、かつて美濃国恵那郡と加茂郡を治めてきた苗木藩遠山家の居城、苗木城の天守閣があった場所です。今でこそ穏やかな流れの木曽川ですが、大正13年に恵那郡蛭川村(現中津川市蛭川)に大井ダムが建設されるまでは、水量が多く激流の川でした。高森山のあたりは深い淵で霧が立ち込めることが多く、苗木城の別名を「霞ヶ城」と言いました。また、苗木城の壁は白漆喰ではなく赤土壁だったために、「赤壁城」とも呼ばれていました。


苗木藩

 
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