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中山道

中山道とは


関が原の合戦後、天下統一を果たした徳川家康は、江戸を基点とする5つの街道の整備に着手します。その中で、江戸と京を結ぶ街道が東海道と中山道でした。  海沿いを通る東海道に対し、日本の屋根といわれる山岳地帯を通る中山道は、東海道の裏街道として整備されました。東海道は比較的平坦な道が多く歩きやすい代わりに、大名行列などの交通が多く、また大河越えや舟渡しなど、天候に左右されやすい道でした。中山道は急な山道を通ることが多いのですが、天候に左右されることなく旅程がたてやすい道でした。そのため、滞ることを嫌うお輿入れ行列は中山道を使うことが多く、別名「姫街道」とも呼ばれました。また、「上松」「馬籠(まごめ・孫目)」など、縁起のよい地名があることも、中山道を好んで使った理由といわれています。中津川市内には、木曽路の入り口として、商業の中心地として栄えた中津川宿、美濃国と信濃国の国境にある落合宿、島崎藤村の小説「夜明け前」の舞台となった馬籠宿の3つの宿場があります。


【経済の中心地・中津川宿 国境の宿・落合宿】
 中津川宿は、東濃最大の宿場として経済の中心地として栄えました。古代より交通の要衝として栄えた中津川は、物資の集積地でもあり、木曽や三河、飛騨方面からの品物が集まり、毎月3と8がつく日には「六斎市」という市が立ちました。
経済の中心であるとともに、中津川は文化の中心でもありました。旅人がもたらす東西の文化を取り入れながら、独自の文化を作りげてきました。そのひとつが中津川独自の食文化。そして幕末の頃は情報ターミナルとしての役割もになっていました。
落合宿は、今から木曽路へと向う旅人を見送る宿であり、厳しい木曽路を越えてきた旅人を迎える宿でした。江戸後期、当時一世を風靡していた歌舞伎役者、七代市川団十郎は追いはぎに襲われ、落合宿本陣の井口家に助けを求めます。今も、井口家には当時の感謝状が保管されています(非公開)。


【島崎藤村のふるさと 馬籠宿】
馬籠宿は木曽路の最南端の宿ですが、平成の大合併により、現在では美濃路の最北端といえるでしょう。急峻な坂道に開けた高い市にあるのでとても眺望がよく、真正面には恵那山、場所によってはゆったりと流れる木曽川と中津川の街を見ることができます。
島崎藤村の故郷であり、小説「夜明け前」の舞台にもなっており、ゆかりの地を巡ることもできます。


【中山道歩きの楽しみかた】
中山道、中津川宿から妻籠宿までの木曽路歩きは人気のウォーキングコースです。その理由のひとつが豊かな自然。小説「夜明け前」で、島崎藤村が「木曽路はすべて山の中である」と記したとおりの風景が今も広がります。


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・ 中津川宿
中津川から茶屋坂までの約1.1キロメートルにも及ぶ中津川宿のほぼ中央に、四ツ目川が流れています。ほぼ平に見える中津川宿ですが、実は本陣のあったあたり(中山道資料館)は本の少し高くなっており、万が一四ツ目川が決壊しても本陣は守られるようになっていました。中山道資料館は、中津川宿の旧家に伝わる、歴史的価値の高い文献や資料を収集展示しています。特に幕末頃は中津川は情報ターミナルとして機能していたため、歴史的価値の高い資料が残っています。


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・ 落合宿
落合宿を抜け馬籠へと向う途中、中津川市の史跡落合の石畳があります。中山道歩きの人が一度は歩きたいという838mの石畳で、長年土の下に埋まっていた石畳を掘り起こし、補修、復元しました。一部は江戸時代の石畳そのものが残されており、当時の往来を思い浮かべながら歩いてみませんか。


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・ 馬籠宿
馬籠には、島崎藤村の小説が今も息づいています。島崎藤村こと島崎春樹が馬籠で暮らしたのは9歳までのたった9年間。勉学のために上京中に長兄が事業に失敗し、生家を手放すことになったため、藤村は二度と馬籠で暮らすことはありませんでした。それでも藤村の馬籠への思いは強く、藤村の長男を馬籠に戻します。そのときに建てたのが四方木屋です。藤村記念館のすぐ横にある大黒屋は、藤村の初恋の人といわれている「ゆふ」の実家。大黒屋の12代目がつけていた日記が、小説「夜明け前」の重要な資料になりました。そして、藤村と親交が深かった原家(清水屋資料館)の二階で、この大作の構想が誕生しました。


中山道とは


関が原の合戦後、天下統一を果たした徳川家康は、江戸を基点とする5つの街道の整備に着手します。その中で、江戸と京を結ぶ街道が東海道と中山道でした。  海沿いを通る東海道に対し、日本の屋根といわれる山岳地帯を通る中山道は、東海道の裏街道として整備されました。東海道は比較的平坦な道が多く歩きやすい代わりに、大名行列などの交通が多く、また大河越えや舟渡しなど、天候に左右されやすい道でした。中山道は急な山道を通ることが多いのですが、天候に左右されることなく旅程がたてやすい道でした。そのため、滞ることを嫌うお輿入れ行列は中山道を使うことが多く、別名「姫街道」とも呼ばれました。また、「上松」「馬籠(まごめ・孫目)」など、縁起のよい地名があることも、中山道を好んで使った理由といわれています。中津川市内には、木曽路の入り口として、商業の中心地として栄えた中津川宿、美濃国と信濃国の国境にある落合宿、島崎藤村の小説「夜明け前」の舞台となった馬籠宿の3つの宿場があります。


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