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東山道

東山道と中津川


美濃国から信濃国へとつながる東山道は、東濃では可児、土岐、大井(恵那) 坂本(中津川)のそれぞれの駅を経て、信濃の国へと続きます。坂本駅は現在の中津川市駒場辺りといわれており、そこから次の駅となる信濃阿智駅までは約40km。その間には、東山道最大の難所といわれた神坂峠(標高1595m)が立ちはだかっています。
 ヤマトタケル伝説や万葉集の防人の歌にも読まれた神坂峠には荒ぶる神が住んでいて、旅人を苦しめると信じていました。神坂峠を越えるために両麓の駅で旅装を整え、一気に峠越えをしたのでしょう。そして峠を越えるときには、旅の安全を祈願して峠の神に「幣(ぬさ)」を奉納する習慣がありました。神坂峠周辺には、1000点以上の土器や陶器、石器などが出土しています。(記事使用の写真は神坂峠からの景色)


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【美濃坂本駅】
坂本駅の場所は諸説ありますが、現在の中津川市駒場付近が有力とされています。ここから標高1595mの神坂峠越えを控え、坂本駅と信濃阿智駅には特例として30疋の駅馬が準備されていました。


【4つの遺跡】
東山道が通っていたと正確な場所は不明ですが、東山道が通っていたであろうと思う場所の近くには、いくつもの遺跡が発見されています。


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・ 落合五郎遺跡
木曽義仲の四天王のひとり落合五郎の城跡と伝えられている場所。ここからは8世紀〜9世紀頃の大規模建築物の遺構や、陶器などが出土しています。

・ 山畑(やんばた)祭祀遺跡
古代、巨岩を"神の宿る場所"として祀った祭祀遺跡です。昭和43年、地元の中学生らによって偶然発見されました。5世紀〜6世紀頃の土器類などが出土しています。


・ 上田遺跡
昭和46年、中央自動車道建設工事で偶然発見されました。奈良時代から平安時代の陶器が発掘されています。


・ 平遺跡
縄文時代から平安時代後期(11世紀)頃の祭祀遺跡。昭和44年、中央自動車道の建設工事で偶然発見されました。




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【兼好法師塚】
「徒然草」の作者 吉田兼好は、人里はなれた湯舟沢の地に庵を結びましたが、国守が多くの家来を従えて狩をする様子に失望し、この地を去ったといわれています。江戸時代になり、この地を訪れた尾州のの役人と地元の人々によって供養塔が建てられ、毎年4月に供養祭を行っています。



【広済院】
天台宗の開祖 伝教大師最澄は、東国布教のために東山道を通って神坂峠を越えます。長く険しい峠道にもかかわらず1軒の宿もないことから、美濃側に広済院、信濃側に広拯院のふたつの布施屋を作りました。



【強清水】
 この湧き水は、東山道を旅する人の大切な水分補給地でした。清水のすぐ上には「風穴」と呼ばれる天然の冷蔵庫があります。明治時代、養蚕が盛んだった中津川では、蚕の卵を風穴の中に保存しました。




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【神坂峠】
日本書紀にも登場する神坂峠。旅の安全を祈願してお供え物をしました。


東山道と中津川


美濃国から信濃国へとつながる東山道は、東濃では可児、土岐、大井(恵那) 坂本(中津川)のそれぞれの駅を経て、信濃の国へと続きます。坂本駅は現在の中津川市駒場辺りといわれており、そこから次の駅となる信濃阿智駅までは約40km。その間には、東山道最大の難所といわれた神坂峠(標高1595m)が立ちはだかっています。
 ヤマトタケル伝説や万葉集の防人の歌にも読まれた神坂峠には荒ぶる神が住んでいて、旅人を苦しめると信じていました。神坂峠を越えるために両麓の駅で旅装を整え、一気に峠越えをしたのでしょう。そして峠を越えるときには、旅の安全を祈願して峠の神に「幣(ぬさ)」を奉納する習慣がありました。神坂峠周辺には、1000点以上の土器や陶器、石器などが出土しています。(記事使用の写真は神坂峠からの景色)


東山道

 
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